約 97,226 件
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/309.html
[部分編集] 三国志~涼書董白伝 使用ゲーム 三國志Ⅳ(SFC版) シナリオ・担当勢力 シナリオ1 新勢力(実質董卓軍) 登録武将 董白(主役) 史実武将の扱い 主役。キャラブレイク、登録武将との絡みあり 紙芝居・ストーリー 紙芝居オンリー 投稿時期 2008年6月18日~11月8日(打ち切り、全30話) 投稿者名 外耳炎が痛くて寝れない 関連タグ 【涼書董白伝】 【涼書殴允伝】 【えっちな董白】 ニコ証 241 備考 朝、窓を開けると爽やかな袁術に挨拶されるブログ :うpぬしブログ並行連載→三国Wizardry 解説 三国志4(SFC版)シナリオ1でのプレイを元にした「紙芝居オンリー」の動画 (1回目では三国志Ⅲとなっているが、本編は三国志Ⅳベース)。 君主は董白(董卓勢を吸収)。顔グラは「三国志大戦」ほかへの差し替えあり。 プレイの様子を見せる「プレイ動画」ではなく、プレイ内容をストーリー化した「リプレイ動画」とも言うべきスタイル。 ツンツン董白、ツッコミ軍師李儒、ひたすら殴られる王允、扱いの悪いおじいさま、抜けてる華雄、 無口っ娘徐晃(じょこたん)など、ユニークなキャラの掛け合いが展開する「乱世大冒険活劇」。 ネタもサッカー・蒼天・あずまんが大王などを中心に多岐にわたり、本編ストーリーとは無関係な「おまけ」シーンもある。 直近のサッカー関連の話題や前回コメントへの応答などを挟み、ラジオ番組のような独特のゆるい雰囲気をかもし出している。 その一方で本編内で触れたり「アザーズ」シリーズを設けたりして、 いまいち報われない武将や目立たない武将の紹介をするなど、三国志ネタをしっかりと伝えているのも特徴。 うp主が「文化祭の出し物をクラスメイトと一緒に作っている感覚」(第25話)と語るこの動画は、 うpされるや否や、待ちかねていた視聴者たちが作中の董白たちや作者(あるいは他の視聴者たち)と チャットするかのようにコメントをつけていく。コメント率は高く、 再生数と※の比率が明らかにおかしい動画です と、本スレの報告の人に評されたことがあるほど(第25話うp時)。 うp主にはシリアスな話しか思いつかなくなる「シリアス期」が周期的に訪れるという。 「ゆるい」董白伝とは対極のため、しばらく休養ということに相成る。 11月8日にupされた第30話のあとも、そんな感じでしばらくお休みになったのだが、 12月22日の作者ブログで、データクラッシュにより打ち切りという事態が報告された。 「いずれの復活を虎視眈々と狙っております」とのことなので、 視聴者からはこの言葉を贈らせていただきたい。 マタミルヨ! アザーズ 本編のストーリー進行とは別に、動画1本につき1~2名の武将について紹介・考察する付録回。 1 袁紹 2 董卓 3&4 張嶷、廖化 用語集 アザーズ 武将紹介の特別回(上掲)。 えっちな董白 タグの一つ。董白たんはHのことばかり考えt……ボコッ!ドフッ!ウボァ! ……美少女君主董白様がお怒りになられた不埒きわまるタグ。けしからんですとも! 殴允 王允のこと。視聴者によってこのコメントが付けられたとき、動画のその後の方向性と王允の運命が決まった。殴允殴打。 おっぱい 禁句。 じょこたん 本動画におけるキュートな徐晃のこと。無双キャラの女体化などの作品を手がける海外(上海出身らしい)のイラストレーター・十月天宮氏( 参考動画 )のイラスト。 ジルオール 殴り系ヒロインつながりで交流の多い「ジルオールの逆襲(躍進)」やその作者さんのこと。 タグとコメント うp主本人が視聴者の表現の場と表現。みんなで楽しいものを作っていこう、と発言している。 テンプレート 殴允を殴るまでがテンプレ。 殴り系ヒロイン 殴り系ヒロインの座はジルには譲らないと主張している。 生茶董白 生茶パンダ風の董白。描いたのは「生茶董白の人」。 生茶董白の人 生茶董白を描いたうp主のご友人。いろいろと多彩な作品を描いておられる。 マヨネーズ 董白は反マヨネーズ。涼書董白伝はマヨネーズが嫌いな人を応援している。マヨラー注意。 ゆるい 本動画を語るときによく使われる形容詞。 涼州の方言 テラVIP口調wwwっうぇうぇwwwww 関連動画 CM コメント欄 勝手にマイリスつくってしまいましたが不都合等があれば消してください。 -- 登山家のうp主 (2008-08-27 05 06 01) この人は言葉とネタのチョイスが上手いと思う。 -- 名無しさん (2008-09-05 01 04 47) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/197.html
<魏 258年> <蜀漢 258年> <呉 258年> 258年 太平三年→永安元年(呉) 皇帝 孫亮(字子明・呉会稽王)→(廃位・会稽王)→孫休(呉景帝) 皇后 全氏(全尚の娘)→(廃位)→? 皇太子 (空位) 三公(呉) 丞相:?→孫綝→(誅殺)→? 太傅:? その他の要職(呉) 太常:全尚→(捕縛)→? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:丁密(257?~262) 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:? 大将軍:孫綝(假節・永康侯)→(誅殺)→? 驃騎将軍:? 車騎将軍:劉纂? 衛将軍:?→孫恩(前武衛将軍) 上大將軍:? 地方官 荊州牧:?→孫綝→(誅殺)→? 主な事件 三年春正月、諸葛誕が文欽を殺す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 三月、司馬文王が壽春を落す。諸葛誕及び左右のものは戰死した。將吏以下皆降る。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 秋七月、故齊王の孫奮を章安侯に封じる。詔して州郡に宮材を徴発する。 八月から沈陰して雨が四十餘日降らなかった。四十餘日 孫亮は孫綝の専横に対して、太常の全尚、將軍の劉丞と謀り孫綝を誅殺せんとした。四十餘日 九月戊午、孫綝は兵を向かわせ全尚を捕らえ、弟の孫恩を遣わして劉丞を蒼龍門外で攻め殺す。大臣を召して宮門に集め、孫亮を會稽王にするとした。時に孫亮は年十六。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 己未、孫綝は宗正の孫楷と中書郎の董朝を遣わして孫休を迎える。孫休は初めその意を疑った。孫楷、董朝は孫綝等が奉迎する本意について説明した。一日二夜留まって、遂いに出発した。《三国志呉書三嗣主伝孫休》 十月戊寅、一行は曲阿に至る。老公が有って孫休に叩頭して曰わく「事は時間をかけますと変事が生じます。天下は待ちわびているのです。願わくば陛下速やかに行かれますよう」孫休は之を善しとして是日出発し布塞亭に到着する。武衛將軍の孫恩が行丞相事として百僚を率い乘輿法駕をもって永昌亭に出迎えた。宮を築き、武帳をもって便殿と為す。御座を設ける。 十月己卯、孫休が到着し便殿を望み住まうのを止めた。孫楷を遣わして先ず孫恩に会い、孫楷は還える。孫休は輦に乗って進む。衆臣は再拜して臣と称す。孫休は便殿に入り、謙譲して御坐につかず。東廂に留まる。戶曹尚書が前に出て階下から讚奏し、丞相が璽符を奉った。孫休は三度讓り、衆臣は三度請うた。孫休は「將相諸侯が寡人を推すならば、寡人は敢えて璽符を受けるのを拒まない」衆臣は次いで奉引し孫休は乘輿して百官は陪位した。孫綝は兵千人をもって半野に出迎え、道側に拝す。孫休は下車して答拜した。即日、正殿に御し、大赦す。改元。是歲は魏の甘露三年である。《三国志呉書三嗣主伝孫休》 永安元年冬十月壬午、詔して曰わく「こたびの論功行賞を行い、大將軍の孫綝を丞相、荊州牧と為し、食邑五縣を増す。武衛將軍の孫恩を御史大夫、衛將軍、中軍督と為し、縣侯に封じる。威遠將軍(授)[據]を右將軍と為し縣侯に、偏將軍の幹を雜號將軍、亭侯に封じる。長水校尉の張布は輔導勤勞であるから輔義將軍と為し、永康侯に封じる。董朝は親迎してくれたによって為鄉侯に封じる。」又詔して曰わく「丹陽太守の李衡は往事之ことがもとで自ら縛って有司に出頭した。李衡を郡に還らせよ。くれぐれも疑いないよう諭せ」《三国志呉書三嗣主伝孫休》 十月己丑、孫皓を烏程侯に、孫皓の弟の孫德を錢唐侯に、孫謙を永安侯に封じる《三国志呉書三嗣主伝孫休》 十一月甲午、風が四轉五復し、蒙霧が連日に及んだ。孫綝一門は五侯を拝し皆禁兵を司る。権勢は主を抜き、陳述するところあれば違うこともなく益々ほしいままであった。孫休は変事を恐れ数々の賞賜を与えた。《三国志呉書三嗣主伝孫休》 丙申、詔して「大將軍忠款內發,首建大計以安社稷,卿士內外,咸贊其議,並有勳勞.昔霍光定計,百僚同心,無復是過.亟案前日與議定策告廟人名,依故事應加爵位者,促施行之.」《三国志呉書三嗣主伝孫休》 戊戌、詔して「大將軍は中外の諸軍事を統括し、煩多であろう。衛將軍御史大夫の孫恩に侍中を加え、大將軍と政務を分けて諸事処理せよ」《三国志呉書三嗣主伝孫休》 壬子、詔して「諸吏家有五人三人兼重為役,父兄在都,子弟給郡縣吏,既出限米,軍出又從,至於家事無經護者,朕甚愍之.其有五人三人為役,聽其父兄所欲留,為留一人,除其米限,軍出不從.」又曰:「諸將吏奉迎陪位在永昌亭者,皆加位一級.」頃之,休聞綝逆謀,陰與張布圖計《三国志呉書三嗣主伝孫休》 十二月戊辰臘、百僚は朝賀す。公卿升殿,詔して武士が孫綝を捕縛し、即日誅に伏す。《三国志呉書三嗣主伝孫休》 己巳、詔して左將軍の張布が姦臣を討ったことから、張布に中軍督を加え、張布の弟の張惇を都亭侯に封ず。兵三百人を与える。張惇の弟の張恂を校尉と為す。《三国志呉書三嗣主伝孫休》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 257年<< >>259年
https://w.atwiki.jp/ishigamism_wiki/pages/148.html
作者:吉川英治 初版:2000年X月X日 感想:孫権の台頭、曹操の勢いは止まらない。そして劉備は諸葛孔明を迎える・・! 【1回目】 期間:2010年3月7日(日)~21日(日) 日数: 三国志 吉川英治 歴史
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/164.html
<魏 226年> <蜀漢 226年> <呉 226年> 226年 黄武五年(呉) 皇帝 孫権(呉大帝) 三公(呉) 丞相:顧雍(前太常) その他の要職(呉) 太常:陳化(兼尚書令)? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:? 衛将軍:? 主な事件 五年春、令曰:「軍興日久,民離農畔,父子夫婦,不聽相卹,孤甚愍之.今北虜縮竄,方外無事,其下州郡,有以寬息.」是時陸遜以所在少穀,表令諸將增廣農畝.權報曰:「甚善.今孤父子親自受田,車中八牛以為四耦,雖未及古人,亦欲與均等其勞也.」《三国志呉書呉主権伝》 秋七月、孫権は魏文帝が崩御したと聞き、江夏を征討し石陽を囲むが、勝てず帰還する。《三国志呉書呉主権伝》 蒼梧で鳳皇が見られたと報告があった《三国志呉書呉主権伝》 三郡の惡地十縣を分けて東安郡を置く。全琮をその太守と為す。山越を討ち平定する《三国志呉書呉主権伝》郡の治所は富春《三国志呉書呉主権伝に引く吳錄》 冬十月、陸遜は便宜を陳情し、德を施し刑を緩めるよう勧めた。寬賦息調又云「忠讜之言,不能極陳,求容小臣,數以利聞.」權報曰:「夫法令之設,欲以遏惡防邪,儆戒未然也,焉得不有刑罰以威小人乎?此為先令後誅,不欲使有犯者耳.君以為太重者,孤亦何利其然,但不得已而為之耳.今承來意,當重諮謀,務從其可.且近臣有盡規之諫,親戚有補察之箴,所以匡君正主明忠信也.書載『予違汝弼,汝無面從』,孤豈不樂忠言以自裨補邪?而云「不敢極陳」,何得為忠讜哉?若小臣之中,有可納用者,寧得以人廢言而不採擇乎?但諂媚取容,雖闇亦所明識也.至於發調者,徒以天下未定,事以濟.若徒守江東,脩崇寬政,兵自足用,復用多為?顧坐自守可陋耳.若不豫調,恐臨時未可便用也.又孤與君分義特異,榮戚實同,來表云不敢隨容身苟免,此實甘心所望於君也.」於是令有司盡寫科條,使郎中褚逢齎以就遜及諸葛瑾,意所不安,令損益之.《三国志呉書呉主権伝》 是歲、交州を分けて廣州を置く。俄復舊.《三国志呉書呉主権伝》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 225年<< >>227年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/157.html
<魏 259年> <蜀漢 259年> <呉 259年> 259年 甘露四年(魏) 皇帝 曹髦(魏高貴郷公) 皇后 卞氏(父は卞隆) 皇太子 三公(魏) 太傅:司馬孚(前太尉) 太尉:高柔(前司徒) 司徒:鄭沖(前司空) 司空:王昶(驃騎將軍)→(死亡) その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬昭(大将軍) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬昭(大都督を加号) 驃騎将軍:王昶 車騎将軍:孫壹 衛将軍:? 地方官 冀州牧: 幽州牧: 并州牧: 青州牧: 徐州牧: 兌*州牧: 揚州刺史:? 雍州刺史:王経 交州牧:孫壹 主な事件 四年春正月、黃龍が二匹が寧陵縣の境の井戸の中に見られた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》このとき龍が現れたことは吉祥であるといわれたが、帝は「龍は君主の德であろう。上は天にあらず、下は田に無い。窮屈な井戸に押し込められ吉兆であるはずもない」と言って、潛龍之詩を自らを風刺して歌った。司馬昭はよく思わなかった。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦に引く漢晉春秋》 夏六月、司空の王昶が薨ず。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 秋七月、陳留王の曹峻が薨ず。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 冬十月丙寅、新城郡を分けてまた上庸郡を置く《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 十一月癸卯、車騎將軍の孫壹が下女を殺した《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/25907.html
登録日:2010/04/14(水) 18 33 53 更新日:2024/05/10 Fri 21 44 22 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 TENGA おうぎぃん っぺ ォウニ! 三国志大戦 兵略 奥義 攻略 軍師 兵略、攻略、とはどちらも三国志大戦における奥義三種の内の一つ。 【兵略】 特徴としては 効果は一瞬 戦場全域に及ぶ。 この2つ。 一試合につき一度しか使えないので、無駄遣いをせず、かつ死なせないよう思い切って使うことが必要。 【種類】 [再起系] ●再起興軍 ゲージ上昇…速 撤退中の味方部隊の復活カウントを減らす。 所持軍師…C陳羣、R郭嘉、羊コ、C糜竺、C法正、SR黄月英、C魯粛、R陸遜、R周姫、C賈ク、C陳宮、R蔡文姫、SR沮授、田中 「どうやら私の想像通りになりそうです……っぺ」 一番使い易く、死ににくい奥義。そのため初心者から上級者、ワラデッキからケニアまで幅広く使われている奥義である。 時たま「このデッキ相手に再起かよw寒っww」とかいう脳内覇王様が居るが、無視しよう。 ●超絶再起 ゲージ上昇…遅 撤退中の味方部隊の復活カウントを減らす。ゲージMAXなら即時復活。 所持軍師…R董卓、SR盧植 「国を守るため、容赦はせん!」 何がクニだ(ry 3.5まではゲージ上昇速度と非MAX時のゲージ減少の微妙さ以外で再起興軍とそこまで差別化されていなかったが、3.5になりゲージMAXだと兵力全快で復活するように。 但しゲージ上昇が本当に遅いために、属性を揃えないと使い難い。 ●転進再起 ゲージ上昇…並 戦場の味方は一瞬で自城に戻り、さらに撤退中の味方の復活カウントを減らす。 所持軍師…R荀イク、R馬謖)、C張昭、SR王異、R田豊 「私の勝ちだっ!」 再起効果はさほど高くないので其方は期待しないこと。どちらかというと相手の号令等をスルーするのに使うと便利。 田豊以外はもう片方の奥義がなかなか強い(使いやすい)ので、採用の可能性は高いだろう。 ●太平妖術 ゲージ上昇…遅 撤退中の味方の復活カウントを減らし、さらに味方の兵力を回復する。 所持軍師…R張角 「天が我らについておるぞ!」 通称「TENGA」。欲張ると性能が微妙になる三国志大戦の世界で稀有な、どっちも効果が案外ある奥義。 一時期大水計ワラで暴れた為に、非MAX時の効果は微妙に。 [増援系] ●兵力増援 ゲージ上昇…速 味方の兵力を回復する。 所持軍師…SR司馬懿、C荀攸、Rホウ統、SR周瑜R禰衡、SR李儒、C郭図、R司馬徽 「己ノ愚カサヲ嘆クガイイ」 再起興軍と並び、扱い易い奥義…ではあるが、軍師レベルが低いと回復量が低いため、軍師レベル上昇が必須。 ●集中増援 ゲージ上昇…遅 味方の部隊数が少ないほど多く兵力が回復する。 所持軍師…R程イク、R諸葛瑾、R逢紀 「我が最高の奥義、見るがいい!」 撤退していない部隊が5つ以上だと兵力増援以下だが、4つ以下だと兵力増援を上回る。 効果は使い方次第故にセンスが問われる奥義である。 ●七星祈祷 ゲージ上昇…遅 味方の兵力が最大値を越えて回復する。 所持軍師…SR諸葛亮 「我が至高の奥義、お見せしましょう」 忠義→七星→忠義 あいてはしぬ ↑なんてことをやってたら忠義共々懲らしめられた。 ●転進増援 ゲージ上昇…並 戦場の味方は一瞬で自城に戻り、さらに兵力が回復する。 所持軍師…R徐庶 「まぁ、ここらで良かろう」 兵力回復したのに転身してどうする。 城内での回復も合わさり、兵力回復量は単純に多い。 [防柵系] ●防柵再建 ゲージ上昇…並 柵を復活させ、強化する。 所持軍師…R呂蒙 「至高の奥義に、刮目せよ!」 余り効果は高くないが、便利は便利。同名の計略と比べたらかなり使い易い。 ●転進防柵 ゲージ上昇…並 味方は一瞬で自城に戻り、さらに柵を復活させ、強化する。 所持軍師…C十常侍 「アタシ達がこの勝負貰った!」 十常侍のボイスは全てトラウマ&鳥肌もの。 デッキによっては防柵再建より使い易いかも。 【攻略】 此方の特徴は 溜め時間がある 範囲があり、範囲内だと効果上昇&兵書効果 。ゲージ上昇は全て並 此方も一試合に一度しか使えないので注意。 【種類】 ●精兵攻勢 味方の武力が上がる、範囲内の味方は武力が更に上がる。 所持軍師…R羊コ、R逢紀 「勝負は決まった、諦めろ」 溜め時間は、自城前に設置してから出城開始するとちょうど発動、と考えると良い。 効果は武力上昇だけだが、範囲内+3デメリット無しは結構強い。 ●神速闘攻 味方の武力が上がる、範囲内の味方は更に武力が上がり、騎兵は神速状態になる。 所持軍師…SR張春華 「もう泣いても許さないから」 範囲外+1、範囲内+2で神速騎兵が生まれるが、若干効果時間の関係上弱め。 だが、覇者求や英知などの強力な魏の号令と組み合わせると凶悪。 ●質実健攻 武力が上がる。範囲内の味方はさらに武力が上がり、敵の計略の対象にならなくなる。 所持軍師…R姜維 「この戦、終わらせてみせる!」 昔所持していた計略「受け継ぎし陣法」を攻略にして持ってきた生姜。 だがしかし、溜め時間が長い(4C)割に効果時間が短い(約6C)など、弱点は多い。 が、R劉備の「桃園の誓い」と組むと強力…超絶強化?落雷でなんとか。 ●車輪閃攻 味方の武力が上がる。範囲内の味方はさらに武力が上がり、槍兵は大車輪状態になる。 所持軍師…SR黄月英 「究極の策、耐えられますか?」 両城際での攻防で真価を発揮する。「劉備の大徳」などと組み合わせてみよう。 ライバルはC法正の「長槍閃陣」どちらかといえば此方が初心者向き。 ●英魂嗣攻 範囲外の味方の部隊は撤退し、範囲内の味方の武力が上がる。所持軍師…R陸抗 「僕達の宿命に決着をつけよう!」 武力上昇値はMAX時の使用で2+撤退した味方の総コスト(少数点以下切捨て)。 非常に強力ではあるが、扱い難い。父親の号令など各種英魂計略とコンボで。 UC張悌の「英魂の引き継ぎ」と組み合わせて雄飛中のR孫策の武力を引き継ぎ+張悌以外全員撤退で張悌は武力29に。 だからどうした ●徒弓撃攻 味方の武力が上がる。範囲内の味方はさらに武力が上がり、弓兵は移動中も弓攻撃可能になる。 所持軍師…SR周姫 「私の全てを授けます!」 弓の弱点が無くなるので麻痺矢号令などと組み合わせると凶悪になる。 但し「徒弓」であり「走射」ではないので剛弓計略とは相性が悪い。 ●速軍侵攻 味方の武力が上がる。範囲内の味方はさらに移動速度が上がる。 所持軍師…SR王異 「女の意地、通させて貰う!」 効果は兵種問わずのため、強力で更に効果時間も長い(約15C)。 皮肉にも相性がよいのは宿敵であったSR馬超(全凸)だが。 ●衝軍戦攻 味方の武力を上げる。範囲内の味方はさらに武力が上がるが、移動速度が下がる。 所持軍師…R朶思大王 「悪夢を味わうがいい!」 武力上昇は+5とかなり強力だが、騎兵中心となる群雄にとって速度低下は痛い。 プレイング次第で化ける奥義ではあろう。 ●戦乱猛攻 味方の武力が上がる。範囲内の味方はさらに武力が上がる、ただし、最大士気が下がる。 所持軍師…SR沮授 「もう、楽におなりなさい」 此方も武力+5と強力だが、やはり最大士気-3は痛すぎる。 だが、そのデメリットをメリットに出来るのが主君のSR袁紹の「逆境の大号令」と組み合わせると最高武力+15や。+10越えは容易に狙える。 追記、修正宜しくお願いします △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/77.html
<魏 222年> <蜀漢 222年> <呉 222年> 222年 黄初三年(魏)→黄武元年(呉) 皇帝 曹丕(魏文帝) 三公(呉) 呉王:孫権 丞相:→孫邵《三国志呉書呉主権伝》 その他の要職(呉) 太常:? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:? 衛将軍:? 主な事件 黄武元年春正月,陸遜の部隊の将軍宋謙等が蜀の五屯を攻める。これ皆破り、その将を斬る。《三国志呉書呉主権伝》 三月、鄱陽で黃龍が見られたと報告があった。《三国志呉書呉主権伝》 蜀軍は分かれて険地に拠り、前後五十余の陣営を張る。陸遜は軽重の兵をもって従え応じて拒む。正月から閏月に至って、大いに之を破り、数万人が降伏する。劉備は遁走し命からがら助かる。《三国志呉書呉主権伝》 初め孫権は魏の藩国として誠心仕えた。魏は侍中の辛毗、尚書の桓階を遣わして盟誓を伝え、人質として嫡子の入朝を促した。孫権は辞退し受けず《三国志呉書呉主権伝》 秋九月、魏は曹休、張遼、臧霸に命じて洞口に出撃し、曹仁は濡須に出撃し、曹真、夏侯尚、張郃、徐晃は南郡を囲む。孫権は呂範等に五軍を督させて水軍をもって休等を拒む。諸葛瑾、潘璋、楊粲は南郡を救援し、朱桓は濡須で監督し曹仁を拒む。時に揚、越の蠻夷は多くがいまだ平定されておらず、內に難問を抱えていた。それゆえ孫権は卑しく辭した上書を行い、自らの悔恨を披瀝した。「もし私の罪が余あるようでしたら、土地を民人に奉還して交州に拠って人生を終わらせようと思います」魏の文帝は答えて「君には本從橫之志があって、今は身を低くして國に奉り、自ら策名を寄越して遠く貢獻してきた。朕は君と大義を定めようと思っているのだ。どうして師を労って遠く江漢まで行くだろうか? しかし廊廟の議題で三公が君の過失を上奏し、それにはちゃんと筋道があって朕はわからなかったから、先に使者を遣わしたのだ。尚書、侍中を遣わして前言を踏襲させ、任子を定めたところ、君は理由をつけて辞退したため議者は怪しんだのだ。即日詔を下し、諸軍はただ溝を深く壘を高くして妄進しない。もし君が忠節を貫き、疑いを解き、孫登が朝に到れば夕には兵を召し還えすだろう。この言葉は真である。大江のごとくに!」孫権は遂に改年し、長江に臨んで拒守する。《三国志呉書呉主権伝》 冬十一月、大風。呂範等の兵で溺死者は數千。餘軍は江南に還る。曹休は臧霸に輕船五百を与え、決死の萬人で徐陵を襲わせた。攻城車を焼き、殺略したものは數千人。將軍の全琮、徐盛は魏の將の尹盧を追撃して斬る。殺したり捕獲した兵は數百。《三国志呉書呉主権伝》 十二月、孫権は太中大夫の鄭泉を遣わして劉備を白帝に訪れる。これより通交復す。そうしてなお魏文帝との往來もあった。後年断絶することになる。《三国志呉書呉主権伝》 是歲改夷陵為西陵《三国志呉書呉主権伝》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 221年<< >>223年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/133.html
<魏 246年> <蜀漢 246年> <呉 246年> 246年 延熙九年(蜀漢) 皇帝 劉禅(後主・魏安楽公) 皇后 張氏(前の皇后の妹・車騎將軍張飛の娘) 皇太子 劉璿 三公(蜀漢) 丞相:(空位) 司徒: その他の要職(蜀漢) 錄尚書事: 尚書令:蔣琬(前丞相留府長史)→(死亡)/費禕 太傅: 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府: 大司馬:蔣琬→(死亡) 大将軍:費禕(尚書令) 驃騎将軍:? 車騎将軍: 衛将軍:? 主な事件 九年夏六月、費禕は成都に還る。《三国志蜀書後主伝》 秋、大赦。《三国志蜀書後主伝》 冬十一月、大司馬の蔣琬が卒す。《三国志蜀書後主伝》蔣琬が卒した後、劉禪は自ら國事を見るようになった《三国志蜀書後主伝に引く魏略》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/18.html
名戦紹介 1,黄巾の乱 2,汜水関の戦い 3,除州制圧戦 4,下ヒの戦い 5,江東・呉の戦い 6,官渡の戦い 7,長坂坡の戦い 8,赤壁の戦い 9,潼関の戦い(関中制圧戦) 10,成都制圧戦 11,漢中争奪戦 12,荊州争奪戦 13,夷陵の戦い 14,南中平定戦 15,街亭の戦い 16,諸葛亮北伐 17,魏対呉蜀連合戦 18,姜維北伐 19,魏呉対戦 20,祁山侵攻戦 21,姜維・孫峻北伐 22,蜀侵攻戦 23,旧蜀侵攻戦 24,鍾会・姜維クーデター 25,呉晋戦争 26,呉普西陵大戦 27,広州 郭馬の反乱 28,三国志終焉呉滅亡
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/195.html
<魏 256年> <蜀漢 256年> <呉 256年> 256年 五鳳三年→太平元年(呉) 皇帝 孫亮(字子明・呉会稽王) 皇后 全氏(全尚の娘) 皇太子 (空位) 三公(呉) 丞相:孫峻→(死亡)→? 太傅:? その他の要職(呉) 太常:滕胤? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:呂岱(前上大將軍)→(死亡)→? 大将軍:?→孫綝(假節・永康侯) 驃騎将軍:呂據→? 車騎将軍:劉纂 衛将軍:滕胤 上大將軍:? 主な事件 太平元年春正月、孫權の廟を立て、太祖廟と称す《三国志呉書三嗣主伝孫亮に引く吳歷》 太平元年春二月朔、建業で火災があった。孫峻は征北大將軍の文欽の計を用いて、魏を征討した。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 八月、先に文欽及び驃騎將軍の呂據、車騎將軍の劉纂、鎮南將軍の朱異、前將軍の唐咨の軍を遣わして江都から淮、泗の領域に入った。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 九月丁亥、孫峻が卒す。從弟で偏將軍の孫綝を侍中、武衛將軍、領中外諸軍事と為し、呂據等を召還する。呂據は孫綝が孫峻に代わったことを聞いて大いに怒った。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 己丑、大司馬の呂岱が卒す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 壬辰、太白が南斗を犯す。呂據、文欽、唐咨等は衛將軍の滕胤を丞相と為すよう表薦したが孫綝は聽かず。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 癸卯、(呂據らは)更に滕胤を大司馬と為して呂岱に代わって武昌に駐在させた。呂據は兵を引き還えし、孫綝を討たんと欲す。孫綝は使者を遣わして詔書をもって文欽、唐咨等を告喻させ、呂據を逮捕させようとした。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 冬十月丁未、孫憲及び丁奉、施寬等を遣わして舟で逆に呂據を江都に討たんとする。將軍の劉丞は步騎を督して胤を攻め、胤は敗れ三族皆滅んだ。 己酉、大赦。改年。 辛亥、呂據を新州で捕らえる。 十一月、孫綝を大將軍、假節と為し、永康侯に封じる。孫憲は將軍の王惇とともに孫綝を謀殺させんと欲すが事が発覚し孫綝は惇を殺す。憲を追捕させ自殺するよう命じた。 十二月、五官中郎將の刁玄が蜀に反乱があったことを告げた。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 255年<< >>257年